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藤井隆太社長の経歴は?カンブリア宮殿に龍角散社長が登場!

   

今夜21時54分から放送の「カンブリア宮殿」に龍角散(東京都千代田区)社長、藤井隆太氏が出演する。咳やたんの症状に効果がある家庭薬としてお馴染みの龍角散だが、8代目となる現在の藤井社長が就任した頃、会社は火の車だったそうだ。

今回は、倒産寸前だった会社を見事に立て直した龍角散社長、藤井隆太氏の異色の経歴をご紹介したい。

ecn1501200830003-p1出典:www.zakzak.co.jp/

藤井隆太社長のプロフィールと経歴

プロフィール

pic2出典:special.nikkeibp.co.jp/

名前:藤井隆太(ふじいりゅうた)
生年:1959年
出身地:東京都
出身校:桐朋女子高等学校音楽科(共学)
桐朋学園大学音楽学部
役職:株式会社龍角散 代表取締役社長

 

 

音楽家を目指した異色の経歴

龍角散の8代目社長となる藤井氏だが、事業を継ぐまではプロの音楽家で、国際コンクールでも優勝する相当な腕前を持っている。

現在も社長業の傍ら、後進の指導やチャリティコンサートでフルート奏者としても活躍している藤井氏は、音楽好きの父と母の影響で3歳からバイオリンを弾いていたそうだ。

名門音大である桐朋学園大学の「子供のための音楽教室」にも通っていた。

・子供のための音楽教室とは?

桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室といえば、戦後に音楽教育の早期教育の必要性から発足し、その一期生である小澤征爾や、中村紘子、堤剛らをはじめ著名な音楽家を輩出してきた、日本で最も古い音楽教室です。
出典:tohomusic-child.jp/outline/

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中学生になると、生まれて初めてオーケストラに入って練習。身も震えるような感動を覚えたという。

オーケストラの練習が始まる時には、桐朋学園の創設者の一人でもあり、多くの音楽家を育てた斎藤秀雄先生に「親の死に目には会えないと思え」「オーケストラというのは、共同事業であって仕事、君たちは中学生だが、もうプロだから練習でも休むことは許さん」と一喝される。

 

斎藤秀雄先生はいつも真剣勝負で、かなり厳しい環境に身を置いていた藤井氏。

大学受験の準備に入った頃、藤井氏の父が日本の若手に名器を弾いてもらいたいと、なんとバイオリンの「ストラディバリウス」を購入。

・名器、ストラディバリウスとは?

イタリアの弦楽器制作者アントニオ・ストラディバリ(Antonio Stradivari、1644年~1737年12月18日)が製作した、世界最高峰のバイオリンの名称。1200挺ほどが製作され、現在、約600挺が存在するとされている。製作年代やタイプ、来歴などにより価格は大きく変わり、一般に数千万から数億円で取引されている。
出典:コトバンク

周囲に「お前も弾いたのか」とよく冷やかされるようになり、藤井氏はバイオリンを弾くのがイヤになってしまったそうだ。

そんな中、イタリアオペラで聴いたフルートに感動し、何か運命的なものを感じてフルートに転向することとなる。

20110416235121出典:d.hatena.ne.jp/

桐朋学園大学卒業後の1982年、フランスのパリに留学。私立の音楽院「エコール・ノルマル音楽院」で高等師範課程を終了し、プロの音楽家となった。

帰国後は中高生のオーケストラを教えたり演奏の仕事もして、音楽で生計を立てていこうと考えていたが、父親から声をかけられ、ビジネスの世界に進むことになる。

 

もともとビジネスにも興味はあった藤井氏だが、父親の会社では自分のためにならないと考え、1985年に小林製薬に入社、マーケティング部を担当する。

1987年には三菱化成工業(現・三菱化学)に入社し、情報電子事業本部記憶材料事業部に配属。

1994年、突然藤井氏の父である藤井康男氏に呼び戻され、龍角散に入社。

img_president_04出典:www.ryukakusan.co.jp/

社長室勤務を経て、1995年に代表取締役社長に就任する。

 

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会社は火の車だった

藤井氏が就任した1995年、龍角散は火の車だった。

1970年代からじわじわと売上が減少していた龍角散は、売上高40億だったが借金も40億。しかもこの事実は一部の幹部社員にしか知らされておらず、役員や社員に全く危機感はなかったそうだ。

「龍角散」を売っていればいい。

000000012453 (1)出典:www.takeyanet.com/

1871年に創業し、江戸時代にお殿様の喘息薬が原点の龍角散は、長い歴史を持つ老舗が潰れるはずがないとあぐらをかき、新商品の開発を怠っていた。

攻める姿勢を無くしていた会社に、藤井氏はのどの専門メーカーである龍角散にしかできないことをやるべきだと言い続けるが反対ばかり。

支援する者がいない中、訪れた介護施設でヒントを得た藤井氏は1998年、嚥下(えんげ)補助ゼリーを考案。

藤井氏はこの嚥下補助ゼリーを、要望が多かった子ども用として改良。錠剤や粉薬を混ぜると「あれ?」というくらい簡単に薬が飲めるゼリー状のオブラート「おくすり飲めたね」を2001年に発売。

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出典:www.scrio.co.jp/

失敗したら家や財産を売り払って全部買い取ると啖呵を切って発売したこの商品は大ヒット。

 

日本の伝統薬である龍角散は海外進出も成功し、40億円あった借金も完済している。

 

 

まとめ

会社で支援する者がいない中、孤軍奮闘で自らの提案に責任を持って行動を起こした藤井氏は、まさに「ついていきたい」と思われるリーダーだろう。

藤井氏は「金もうけのために演奏するような者にろくな演奏はできない」と、音楽からも経営を学んだことをインタビューで語っている。

常にどういう演奏をすれば感動してもらえるかを考えている藤井氏。

今夜の放送も、大切なことを教えてくれるだろう。

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