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山本尚徳とマツコのピザ愛が爆発!世界一のピザ職人の経歴とは?

   

今夜21時から放送の『マツコの知らない世界』では、世界一のピザ職人である山本尚徳(ひさのり)氏が、マツコの知らないデリバリーピザの世界を紹介してくれる。

ピザーラ、ピザハット、ドミノ・ピザと、業界を支える3大デリバリーピザメーカーが集結し、世界一のピザ職人である山本尚徳氏も舌を巻く、驚きのピザが登場するようだ。

今回は、世界一のピザ職人である山本尚徳氏の経歴をご紹介したい。

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出典:tabelog.com/

山本尚徳氏のプロフィールと経歴

プロフィール

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出典:r-tsushin.com/

名前:山本尚徳(やまもとひさのり)
生年:1977年生まれ
血液型:A型
出身地:静岡県静岡市清水区
お店:ピッツェリア・エ・トラットリア・ダ・イーサ

 

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きっかけはチラシ!?

1977年に静岡県静岡市清水区に生まれた山本氏は、18歳の時に上京している。

きっかけは、親との喧嘩が原因で実家を飛び出したそうだ。親戚を頼りに上京したものの、持っていたお金も底をつき、これからどうするかを考えながら街を歩いていた時に、たまたま落ちていたチラシを拾う。

それはイタリア料理店のアルバイト募集のチラシで、このチラシがきっかけとなり、山本氏は下北沢のイタリア料理店で働くこととなる。

たまたま拾ったチラシがイタリア料理店のチラシとは、なにか運命的なものを感じる。

 

ピザ職人になることを決める

イタリア料理店で働き始めて2~3年すると、山本氏は疑問を抱くようになる。

自分が日本で食べたり作ったりしているものを、本当にイタリア人は食べているのかを疑問に思っていた山本氏は、イタリア全土を回り、現地の食文化を学ぶ旅に出る。

その旅で立ち寄ったイタリア南部にある都市、ナポリで出会ったピザに感銘を受けた山本氏は、ピザ職人になることを決める。

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世界ピッツァ選手権に出場する

2002年に(株)ベラヴィータに入社した山本氏は、青山ナプレに配属されることとなり、2005年にナプレ青山店、中目黒店の統括料理長に就任するが、2006年からナプレを一時休職。

修行のために、またもやイタリアのナポリに渡ることを決心する。

ナポリに渡った山本氏は、クリントン米大統領の来店を記念して命名された名店「イル ピッツァイオーロ デル プレジデンテ」にて、あらためて本格的な修行を開始。

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出典:w-wired.com/

朝から晩まで雑務に追われる厳しい生活を続けた山本氏は、同店のオーナーであり、ナポリ・ピッツァ界の重鎮でもある故エルネスト・カチャッリ氏の目に留まり、本格的な指導を受けることとなる。

同氏と永遠の師弟関係を結んだ山本氏は帰国。

そして2007年6月、29歳の時にナポリで開催された07年世界ピッツァ選手権に出場し、初出場で日本人初の総合優勝という偉業を達成。

さらには翌年の、08年世界ピッツァ選手権にて、イタリア人さえ成し遂げていない大会史上初の2年連続優勝を果たし、山本氏は世界中から注目を集めることとなる。

2010年2月には自身が経営する「ピッツェリア エ トラットリア ダ イーサ」を中目黒にオープンした。

ピッツアが人生のすべてだと語る山本氏は、2015年現在も大人気ピッツア店のオーナーとして活躍している。

ピッツアは僕にとって、人生すべてを懸けているものです。僕からピッツアをとったら、ほとんどなにも残らない気がします。ピッツアと出会わなかったら、僕の人生は何もなかったかもしれない。「趣味は?」と聞かれたら、冗談抜きで「仕事」と答えます。そのくらい、ピッツアは僕の人生のすべてだと思っています。
出典:www.sbfoods.co.jp

 

ファンの感想

 

 

 まとめ

ピザに出会うべくして出会い、それに人生のすべてを捧げてきた山本氏の行動力は凄い。

材料も釜もナポリのものを使って作られている山本氏のピザを求めて、土日・祝日は大行列となっているようだ。

今twitterを見ていてピザを食べたくなってきた。

もうすぐサッカー日本代表のシンガポール戦が始まるし、今夜はピザをデリバリーして日本代表を応援しようと思う。

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