火垂るの墓ネタバレとあらすじ!声優キャストもご紹介!
2015/08/15
今夜21時00分からの「金曜ロードSHOW!」に、高畑勲監督の名作『火垂るの墓』が放送される。幼い兄妹の命の輝きを描いた感動作が公開されたのは、今から27年前の1988年(昭和63年)4月16日。原作は、野坂昭如氏による直木賞受賞作だ。
今回は、幼い兄妹の命の物語、『火垂るの墓』のネタバレとあらすじ、声優キャストをご紹介したい。
「火垂るの墓」声優キャスト
清太:辰巳努
関西の子役として「瀬戸内少年野球団」の吉沢孝行(ダン吉)や「愛しき日々よ」の少年時代の瀬川敏夫を演じて高い評価を得たのち、『火垂るの墓』で主人公の清太の声を演じて注目を集めた。
実写版の「じゃりン子チエ」にもエキストラとして出演しているが、現在の動向は全く不明。
清太の声を当てたときは16歳。2012年に『火垂るの墓』の関連イベントが行われた際に、辰巳に出演依頼をしようと主催者側が尽力したが、連絡先が分からずに断念せざるを得なかったそうだ。
事故で大怪我を負ったために、芸能活動を断念せざるを得なくなったという噂もある。
節子:白石綾乃
節子の声を当てたときはまだ5歳11ヶ月。「節子と同年輩で関西弁の子役」という監督からの要望で起用された。
当時は無名の子供が声優を行うというのは前代未聞のことだった。
彼女の声の録音とアニメーションの絵は別録りで、彼女の声だけはプレスコで収録され、マネージャーから口伝えにセリフの指導を受けたそうだ。
・プレスコ
プレスコアリングの略。台詞を先行して収録し、それに合わせて映像をつける手法
2012年に『火垂るの墓』の関連イベントが行われた際、辰巳同様に連絡先が分からずに断念。
しかし、音楽プロデューサーでDJとして活動している田中知之氏は2009年10月、自身のブログで白石本人と食事をした様子を掲載している。
母:志乃原良子
地元の関西を中心に活動。水戸黄門や必殺仕事人など、時代劇に多数ゲスト出演している。
2012年7月、スタジオジブリの名作映画「となりのトトロ」「火垂るの墓」のブルーレイ発売記念トークイベントが都内で行われた際、特別ゲストとして出席している。
親戚のおばさん:山口朱美
関西を拠点に活動する大阪府出身の女優。銭形平次や水戸黄門に出演しており、悪女役が多い。
声優としても活動し、「じゃりン子チエ」のチエの母親(竹本ヨシ江)を演じている。
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「火垂るの墓」ネタバレとあらすじ
主人公は海軍大尉の父を持つ14歳の清太と4歳の妹節子。
清太は心臓を患っている母と妹節子と暮らしていた。
昭和20年6月5日、神戸の街に空襲警報が鳴り響く。
心臓の悪い母を先に避難させ、節子をおぶって清太は逃げようとするが、行く手を炎が襲う。
なんとか迂回して海に出た清太と節子は、一面焼け野原となった神戸の街に呆然とする。
母と落ち合うために避難所の小学校に向かうが、そこで待っていたのは重度の火傷を負い、包帯で全身を巻かれていた母の姿だった。
母はこの世を去り、帰る家をなくした2人は、焼けた自家の敷地に蓄えてあった食料を掘り出し、リヤカーに積んで親戚である叔母宅に身を寄せることになる。
叔母宅には叔母の娘と下宿人が生活しており、5人での共同生活が始まる。
当初は清太と節子を歓迎してくれた叔母だったが、それは清太たちが食料を持っていたから。
清太の母は、食料と一緒に着物も自家の敷地に隠しており、叔母はその着物を「米」と物々交換するように清太に勧める。
母の着物を交換しに行く叔母を節子は必死に止めるが、結局「米」と交換される。
清太は母の着物で手に入れた「米」を自分の子どもたちにばかり食べさせる、叔母の意地悪さと口の悪さに我慢の限界を迎え、清太は節子を連れて叔母宅を出ることになる。
2人は家財道具をリヤカーに積み、川辺の防空壕で生活することに。清太と節子は、貧しくとも楽しい生活を送ることになる。
食糧は川で取れるタニシやフナ。電気の代わりに蛍を集めて瓶に入れていた。
そんなある日、節子は死んだ「蛍(火垂る)の墓」を掘っていた。
節子は母が他界したことを叔母から聞いており、「なんですぐ蛍(火垂る)死んでしまうん?」と涙を流した。
ホタルの語源は、発光する状態を「火垂る(ひたる)」と表現し、「ホタル」に転じた(貝原益軒『大和本草』説)
出典:www006.upp.so-net.ne.jp/
清太は涙を拭いながら、節子と共に、母が眠っている墓に行くことを誓う。
しかし、子ども2人で暮らしていくうちに徐々に食べ物は底を尽き、孤立した2人は食糧の情報も得られず、国からの配給も途絶えがちになっていった…。
追いつめられた清太は、畑泥棒や火事場泥棒を始めるが、悪事もすぐに露見し、清太は農夫によって警察に突き出されてしまう。
すぐに清太は釈放されるが、節子は食糧不足で栄養失調になり、日に日に弱っていった。
やがて節子は川辺で倒れ、清太は医者に診せるが、医者からは「滋養をつけなさい」と言われただけだった。
清太は医者に言い返した。
「滋養なんか何処にあるんですか!」
「火垂るの墓」結末
昭和20年夏、日本は終戦を迎えるが、父の連合艦隊は全滅。父が帰還する望みは薄かった。
清太は、母が残してくれていた貯金を全て下ろして食料を買うことを節子に告げる。すると節子は答えた。
「うちなんもいらん。家におって兄ちゃん。いかんといて、いかんといて。」
清太は節子に「ずっとそばにいる」ことを約束する。
清太は食料を買い、節子におかゆとスイカを食べさせようとするが、すでに口にする力も衰えていた。
節子は胸にスイカを抱えたまま、静かに息を引き取った。
遺骨を節子との思い出のドロップ缶に詰めて防空壕をあとにした清太は、浮浪者たちが集まっている三ノ宮駅に行く。
栄養失調の清太自身も、やがてくる死を待つだけだった。
そして、昭和20年9月21日夜、清太は旅立った。
清太が持っていたのは、火葬した節子の遺骨が入ったドロップ缶だけだった。
清太の手から落ちたドロップ缶を、駅員が放り投げると蛍が飛び出し、2人は手を繋いで歩いて行く。
清太と節子は、現代の都会の風景を見下ろしている。