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細田守監督の経歴とプロフィール!アニメ映画のプロフェッショナル!

      2016/07/22

今夜22時00分からの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、アニメーション映画監督・細田守さんが出演する。

番組では3年ぶりの新作バケモノの子製作の舞台裏に、300日に渡って密着した様子が放送される。

今回は、映画作りの原動力が苦しみを抱えてきた“自らの人生”だと語る、細田守監督をご紹介したい。

細田守

細田守監督のプロフィールと経歴

プロフィール

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名前:細田守(ほそだまもる)

別名義:橋本カツヨ、遡玉洩穂(そだまもるほ)

生年月日:1967年9月19日(48歳)

出身地:富山県中新川郡上市町

出身校:金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科油絵専攻

職業:アニメーション映画監督、演出家

 

経歴

1967年に富山県に生まれた細田さんは、幼いころは言語障害があり、周りに馴染めない生活を送っていたという。

「ルパン三世 カリオストロの城」に衝撃を受けた細田さんは、中学3年の時に「飛行機アニメ」をコマ撮りで作成して学内上映している。

制作方法は、当時の月刊総合アニメ専門雑誌「アニメージュ(Animage)」から知ったそうだ。

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高校1年の時には、角川映画「少年ケニヤ」のアニメーター公募を知り、学内上映もした飛行機アニメを応募。

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見事に合格して上京を薦められるが、大学の試験があったので上京を断念。

大学時代は映画サークルに入って制作活動に専念し、実写映画を「50本以上」製作している。

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大学卒業後、細田さんはスタジオジブリの「研修生採用試験」で最終選考に残るが、残念ながら不採用となってしまう。

宮崎駿監督は当時から細田さんの才能を見抜いていたのか、不合格通知には「君の才能を削ぐ恐れがあるのであえて不合格にしました」と、宮崎監督から“直筆の手紙”が同封されていたという。

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1993年、日本テレビ開局40週年記念作品としてアニメ映画化された「遠い海から来たCOO」では作画監督補佐を担当。

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1996年には「るろうに剣心」の絵コンテを遡玉洩穂(そだまもるほ)名義で担当し、1997年の「ゲゲゲの鬼太郎」で演出家としてデビューしている。

初めての監督作品は1999年の「劇場版デジモンアドベンチャー」で、続く2000年に「劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を監督。

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この作品のクオリティの高さから、細田さんは業界の内外より注目を集めた。

そんな中、「スタジオジブリ」から思いがけない連絡が入る。

2000年8月、若手監督を探していた宮崎駿監督により、「ハウルの動く城」の監督に選出されたのだ。

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細田さんはスタジオジブリに出向するが、残念ながら制作途中で「企画そのものが中止」となってしまう。

どのように映画として構成すればいいのか糸口が掴めなかったようだが、細田さんは誰にも助けを求めなかったという。

プライドが邪魔をして孤立していった細田さんは、担当プロデューサーから「これもう無理だね」と告げられ、ジブリを離れることになる。(2002年4月21日に企画は中断)

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ハウルの動く城は後に監督と脚本が宮崎駿さんへ変更されて公開されたが、業界で「細田は終わった」と囁かれる一大事件となった。

そんな細田さんをさらなる試練が襲う。母が病に倒れたのだ。

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故郷に帰り母の介護をするか、このまま映画を作るチャンスを追い求めるかを悩みぬいたが、細田さんは夢を諦めきれなかった。

鳴かず飛ばずで3年が過ぎた頃、細田さんに再びチャンスがやってくる。

アニメ制作会社MAPPA社長「丸山正雄」さんが長編映画の監督に抜擢してくれたのだ。

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2005年、東映アニメーションを退社してフリーとなった細田さんは、プライドを捨て、映画監督として「覚悟」を決めた。

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それからの細田さんは壁にぶつかれば周囲に相談し、スタッフたちにも頭を下げたという。

細田さんが映画監督として脚光を浴びたのは38歳の時

2006年7月に公開した「時をかける少女」が口コミで話題となり、興行収入は2.6億円を記録して国内外で高く評価された。

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2009年8月に公開した「サマーウォーズ」は興業収入16.5億円のヒットを記録し、ベルリン、モントリオール、リスボンなど、世界中の映画祭で高い評価を得ている。

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ヒットメーカーとして定着した細田さんは2011年4月、自身のアニメーション映画制作会社「スタジオ地図」を設立。

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2012年7月21日には「おおかみこどもの雨と雪」を公開し、興行収入42億円、2012年の「年間興行収入ランキング」第6位の大ヒットとなった。

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「バケモノの子」の反応

 

 

まとめ

ジブリの採用試験に落ち、「ハウルの動く城」の監督に一度は選出されるが企画の中止。

もし細田さんがハウルを公開していたらどうなっていたのかを考えたが、もしそうなっていたら自らの人生を原動力にしてきた「細田作品」を観ることはできなかったのかもしれない。

今夜の放送では、いまや日本を代表するアニメーション映画の監督となった、細田さんの本音も聞けそうだ。

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