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池田重喜寮長(ロッテ)の経歴とは?千葉ロッテを支える陰の立役者!

   

今夜19時56分から放送の「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」内で千葉ロッテマリーンズの球団寮の寮長を務める池田重喜氏が登場する。

裏方としてプロ野球を支え、現役のバッティングピッチャーでもある池田氏はどのような野球人生を送ってきたのか?

今回は、野球に人生を捧げる陰の立役者、池田重喜氏の経歴をご紹介したい。

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出典:sportiva.shueisha.co.jp/

池田重喜氏の経歴

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プロフィール

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出典:ameblo.jp/

名前:池田重喜(いけだしげき)
生年月日:1946年5月1日(69歳)
出身地:大分県臼杵(うすき)市
身長:178cm
体重:74kg
出身:大分県
出身校:大分県立津久見高等学校
職業:千葉ロッテマリーンズ寮長、打撃投手

 

 

大洋ホエールズから4位で指名を受ける

現在69歳の池田氏だが、今も現役の打撃投手として活躍している。

そんな池田氏は幼い頃から野球に打ち込み、大分県立津久見高校に進学する。1963年、高校2年の時に投手として甲子園に出場するが、登板の機会はなかったそうだ。

高校卒業後の1965年、社会人野球の日本鉱業佐賀関に進むが、同年11月、ドラフト会議で広島から15位で指名を受ける。

しかし池田氏は、契約条件が問題だったのか、プロでやっていく実力がないと感じていたのかはわからないが、チームに残ることを決意し、広島には入団しなかった。

1967年、都市対抗野球初出場を果たした池田氏は同年の秋、大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)から指名を受けると、この時はドラフト4位で入団を決めている。

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1977年に現役を引退

大洋ホエールズ入団後は中継ぎとして起用され、1968年には33試合に登板し5勝、1969年には49試合に登板し4勝を挙げるなど活躍。

1970年に平岡一朗投手とトレードでロッテに移籍。

移籍した年には31試合に登板するが、翌年には肩を故障してしまい、わずか6試合の登板となってしまう。

肩の痛みに悩まされ続けた池田氏は、1976年から選手兼任コーチとなり、打撃投手を務めるようになる。

翌年の1977年には現役を引退し、当時の金田正一監督の命令によってピッチングコーチ補佐に就任。池田氏はその時の様子を以下のように語っている。

突然、金田さんにコーチになれって言われて、悔しい思いをグッとこらえて、選手たちのために何をすべきか考えていました。当時は今みたいにスタッフが多くないから、最初は”なんでも屋”だったね。
出典:sportiva.shueisha.co.jp/

池田氏は2000年から、ロッテの選手寮の寮長と打撃投手を兼任している。

 

 

池田氏のピッチング動画

 

まとめ

池田氏は寮長として若い選手に人として大切なことを教え、一軍に上がって活躍する姿を見ることを日々楽しんでいるようだ。

プロの野球選手から突然日の当たらない裏方として、なんでも屋を引き受けた池田氏は本当に懐が深いと感じた。

池田氏のような方がいるからこそ、プロ野球は成り立っているのだろう。

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