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海賊とよばれた男(映画)ネタバレとあらすじ!結末とキャストも

   

今夜21時00分からの「金曜ロードSHOW!」に、映画『海賊とよばれた男』が地上波初放送される。

大ヒットを記録した「永遠の0」チームが再結集(原作・百田尚樹さん、主演・岡田准一さん、山崎貴監督)した超大作が公開されたのは、2016年12月10日。

出光興産創業者・出光佐三(いでみつさぞう)氏をモデルにしたといわれる主人公・国岡鐵造の20代から90代までを岡田准一さんがひとりで演じている。

今回は、日本の復興のため「石油」に賭けた男たちを描いた映画・『海賊とよばれた男』のネタバレとあらすじ、豪華キャストをご紹介したい。

「海賊とよばれた男」キャスト

国岡鐡造:岡田准一

 

東雲忠司:吉岡秀隆

 

長谷部喜雄:染谷将太

 

武知甲太郎:鈴木亮平

 

柏井耕一:野間口徹

 

藤本壮平:ピエール瀧

 

小川初美:黒木華

 

国岡万亀男:光石研

 

ユキ:綾瀬はるか

 

盛田辰郎:堤真一

 

木田章太郎:近藤正臣

 

鳥川卓巳:國村隼

 

甲賀治作:小林薫

 

「海賊とよばれた男」あらすじとネタバレ

1945年8月17日(鐵造60歳)

戦争が終結した2日後、石油会社「国岡商店」の店員たちは、焼け野原となった東京の街を見つめながら途方に暮れていた。

しかし、国岡商店を率いる国岡鐵造は、解雇に怯える社員たちを「1人もクビにせず」、店員たちの前で日本と国岡商店の再建を誓った。

なんもかんものうなっても…日本人がおる限り、この国は再び立ち上がる。

こん国は石油を断たれ、その石油を巡る戦いで敗れた。

けどの、今後日本が世界の舞台で再び復活するには、必ずや石油が必要になる。

下を向いとう暇はない!

しかし国岡商店の事業は敗戦によってすべて失われており、とても大勢の店員たちを養う余裕などなかった。

鐵造は2人の写真を見て(恩人である木田章太郎、戦争で犠牲となった長谷部喜雄)気持ちを振るい立たせ、

仕事はないない言うちょらんで、つくるもんやろが。

店員は家族よ。

何としてでもみんなで食いつなごうやないか。

それでももし駄目だったら、みんなで乞食をしよう。

自ら石統(石油配給統制会社)に向かった。

鐵造は石統の鳥川卓巳に何度も頭を下げ、石油の融通と石統への加入を頼み込んだ。

しかし、戦前に関係が悪化していた鳥川に「あんたんとこでは、国内で石油を扱うことはできません」ときっぱり断られてしまう。

その後、家に帰った鐵造を迎えたのは、妻の多津子と3人の子供たち。

自室に入った鐵造は、過去に思いを馳せるのだった…。

 

1912年大正元年(鐵造27歳)

石油の将来性を予見した鐵造は、北九州の門司で「国岡商店」を営んでいた。

鐵造は社是“士魂商才”を胸に仕事に打ち込むが、取引先ではバカにされ、門前払いは当たり前の毎日だった。

経営に行き詰まっていた鐵造は、独立する際のスポンサー・木田章太郎に弱音を吐くが、木田は窮地に立たされた鐵造を長い目で見てくれた。

あれは貸したんやない。あげたんや。

地べたに落ちてるもんを拾うのは簡単や。

けど、あんたはもっと高い所を見てるやないか。そらなかなか難しいで。

3年であかなんだら5年、5年であかなんだら10年や。

なあ、とことんやって見ようや。諦めんと…な?

仕事がなかったらつくったらよろし。

それでもどうしてもやっていかれへんようになったら…2人で乞食にでもなろか?

そんな中、鐵造は取引先の日邦石油で売れ残っていた「軽油」に目をつける。

ポンポン船(漁船)のエンジンは灯油が燃料だったが、鐵造は店員たちの前でポンポン船の焼き玉エンジンを軽油で動かして見せた。(灯油と軽油の化学式が似ている)

鐵造は安価の軽油をすぐに押さえ、代替品として漁船相手に「海の上」で格安で売ることを思いついた。

翌朝、鐵造の「船出せー!」の掛け声とともに、国岡商店は海上での軽油販売を始める。

国岡のもんよ!油もってきたけー!

鐵造たちは同業者の縄張りがない海上で、門司でも下関でも舟を繰り出して油を売りまくった。

海の上に線でも引いとんのか!

油代が安く済んだら魚の値段も下がるやろが!

やがて海上を縦横無尽に暴れまわる国岡商店は大成功。

同業者の嫌がらせもものともせず、国岡商店はどんどん成長していった。

しかし、その強引でゲリラ的な販売方法から、鐡造率いる国岡商店は周りから『海賊』と呼ばれるようになる。

そんな中、鐵造に兄・万亀男から縁談が持ち込まれる。

商売が軌道に乗った鐵造は器量よしのユキという妻を迎え、住み込みの店員たちと一緒に暮らすことになった。

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1945年 銀座(鐵造60歳)

売るべき商品・「石油」がない国岡商店に、元海軍大佐の藤本という男が訪ねてくる。

GHQは情報を広めるためラジオの普及を推進しており、藤本は国岡商店に『ラジオ修理』の仕事を持ちかけてきた。

すると鐵造はGHQお墨付きの仕事を即断即決し、藤本を部長にしてラジオ部を立ち上げた。

しかし、「200万台の壊れたラジオを200人で修理する」というラジオ部は、銀行からの融資がなかなか決まらなかった。

鐵造は藤本に「あと1周間だ」と伝え、落ち込んでいる藤本に活を入れた。

なぜうまくいかんと思う?

この激しいインフレの中、金融業界は苦しさを増しております。

違う!熱が足りんのよ…熱が!

鐵造は藤本に期待しており、そのことに気づいていた柏井が「大事なのは説得力です」と藤本にアドバイスした。

すると、藤本は銀行員の前で実際にラジオを修理してみせ、200万台でも200人で対応できると説明した。

藤本の修理の速さに驚いた銀行員たちは融資を決め、ラジオ部は石油業務がない国岡商店を支えることになる。

そんな中、国岡商店店員・東雲、小松、渡辺、太田たちが戦争から無事に帰ってくる。

鐵造は東雲たちにラジオ部を見せ、石油が入ってこない国岡商店の現状を説明した。

一方、日比谷にあるGHQ本部では、ダニエル・ミラーが石統の鳥川たちに石油を出し渋っていた。

全国の旧海軍タンクの底に、まだ十分な量の石油が残っている。

輸入を再開したければ、まずはそれを使い切ってからだ。

確かにタンクに石油は残っていたが、それは海軍さえも汲み上げを諦めたいわくつきの石油

困った鳥川が“嫌がらせ”で国岡商店に話を持ち込むと、他社がやらない無理難題を鐵造は国益のために率先して引き受けた。

やがて復員してきた東雲たちが汲み上げを担当することになり、横浜の旧海軍タンクでは厳しい業務が始まった。

泥と雨水が大量に混ざった石油は臭いもひどく、きつい仕事に安い手間賃で人手も集まらない。

さらに、困った石統の鳥川が“丸投げ”してきたことに気づいた東雲は、部下の前で「撤退」を宣言した。

しかし、鐵造は東雲に続投を告げ、東雲たちは覚悟を決めてバケツリレーで汲み出し始めた。

俺は店主の言ったことはやり遂げたいんだよ!

いいか、この下にあるのは石油だ。

俺たちは今、石油の仕事をしているんだ!

やがて視察に訪れた鐵造も参加し、東雲たちと全身真っ黒になりながら作業を続けた。

1年後の1947年、GHQで通訳を勤めていた武知が突然「店員にしてくれ」と国岡商店にやってくる。

すると鐵造は即断即決で武知を採用し、武知は石統の“狙い”を報告した。

石油取り扱い業者選定の要綱案には「内地に本社を有したる引き揚げ業者は認めない」という意味不明な一文が入っており、石統は国岡商店を狙い撃ちして排除するつもりだった。

鐵造は早速武知を中心にGHQへの働きかけを行い、石統の鳥川はGHQのダニエルから業者選定の要綱案を突き返される。

クニオカはなぜ同業者に嫌われているのだ?

国岡商店の人間は働きすぎるんでしょう。

戦前戦中、石統と他の大手石油会社はずいぶんと煮え湯を飲まされたようです。

また、ダニエルが国岡商店を後押ししたのには理由があり、ダニエルは横浜の旧海軍タンクで一丸となって働く鐵造たちの姿を見ていた。

なぜあの会社に肩入れするのですか?

理由などない。

美しいものを見たんだ。

やがてタンクの汲み出し作業から2年が経過し、石油の輸入が再開されるようになった。

それに伴い石統は廃止されることになり、汲み出し作業をやり遂げた国岡商店は石油を販売できる正式な『石油取り扱い業者』となった。

鐵造は思いを新たにしつつ、満州で外油メジャーと戦った過去に思いを馳せていた…。

 

1917年12月 満州(鐵造32歳)

軽油の海上販売で商売が軌道に乗った国岡商店は、満州への営業を開始していた。

鐵造は長谷部を連れて満州鉄道の現場へ行き、車軸油のサンプルを鉄道員に見てもらった。

満州鉄道はメジャーの車軸油を使用していたが、鉄道員は北海道より冷える満州では車軸油が「凍る」と言った。

車軸油が固まれば車軸が焼きつき、摩擦熱で火事が起きる危険性があった。

こうしてメジャー攻略の糸口を掴んだ鐵造は、帰国すると寒さに耐えられる油作りに没頭する。

一方、鐵造は仕事に追われるあまり、妻・ユキと過ごす時間を取れずにいた。

兄・万亀男からは「早う、跡継ぎもつくらんとの」と催促されるが、鐵造とユキは子供に恵まれなかった。

そんな顔すんなちゃ。

子供ができんのはお前のせいやないけ。

店員たちがおいたちの子供やけ。

1年後の1918年、鐵造はユキに「帰ったら温泉にでも行こう」と約束して大連の満鉄本社へ出発。

鐵造と長谷部は開発した寒さに強い油を売り込み、『メジャーの油では列車が火事になるかもしれない』と説明した。

しかしまったく相手にされず、反対に「お前らみたいな恥知らずは初めてだ」と言われてしまう。

その後、鐵造の予想どおり車軸を損傷させる列車火災が発生。

満鉄本社に呼ばれたメジャー数社と鐵造たちは、機関車を走らせて油の「試験」を行った。

結果はパシフィックス、スカイラー、ロイヤルウォーターを抑えて国岡商店の油が圧勝だった。

鐵造たちは外油メジャーの目の前で、国岡商店の「ナフテン系」の油は優秀だと証明できた。

しかし、メジャー会社から圧力をかけられた満鉄本社は、国岡商店の車軸油を採用しなかった。

君らの油を使うなら、すべての取引をやめるというのだ。

彼らを怒らせたくない。

悔しさを抱えたまま帰国した鐵造だったが、そこにユキの姿はなかった。

兄・万亀男が鐵造を待っており、「ユキはおらん。実家に返した」とつぶやいた。

ユキは鐵造に手紙を残しており、愛する妻を守れなかった鐵造は自責の涙を流した。

鐵造さん、ずっと考えておりましたが、この結婚は失敗やったと思います。

あなたは仕事に追われ、うちは寂しい思いをずっと抱えとりました。

子供ができたら、こん気持ちも和らぐかと思っとりましたが、

それもかなわず、孤独は募るばかりです。

この後、国岡商店は大陸に販路を拡げ目覚ましい発展を遂げた。

1941年12月、太平洋戦争勃発。

 

1942年 陸軍省(鐵造57歳)

陸軍の中原は鐵造を呼び出し、石統が提出した南方(東南アジア)における石油配給計画書・『南方石油政策』を見せる。

石統が提出した計画書には“役員クラス”の人間が大勢送り込まれており、戦後も「金儲け」をしようという魂胆が見え見えだった。

そんな石統の利権確保への動きを嫌った中原は、石統の計画を白紙に戻し、この案件を国岡商店に一任する。

はせ、200人でどうね?

その計画案の10分の1だが…

なるほど。これが国岡商店ですか。

石統の鳥川は国岡商店の介入に気づき、地団駄を踏んで悔しがった。

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1945年 春(鐵造60歳)

南方の案件を鐵造に任された長谷部は、石油基地への移動のため陸軍の輸送機に乗っていた。

するとその輸送機が米軍機に攻撃され、長谷部は到着寸前のところで無念の死を遂げる。

長谷部の死を知らされた鐵造はその場に崩れ落ち、ただ呆然とするのみだった。

 

1947年(鐵造62歳)

タンクから油を汲み出した国岡商店は、念願の『石油販売指定業者』の資格を得た。

鐵造は店員たちに感謝の気持ちを伝え、国岡商店の今後の展開を発表した。

そんな中、石油メジャー・パシフィックスから「提携」の話が持ち込まれる。

しかし提携とは名ばかりで、買収同然の内容だった。

まずは御社の株の50%を譲渡していただきたい。

それに伴い、役員のうち数名をこちらから送り込むことになる。

鐵造は「ナンセンス!」と叫んでその話を断ると、話を持ってきた相手・ディクソンと面識があることを思い出した。

鐵造とパシフィックスのディクソンは満州鉄道の『車軸油』で一度戦ったことがあり、勝負に負けたディクソンは個人的恨みがあったのだ。

どうやら状況はあの時と変わっていないようだ。

今度会う時は敵同士だ。

その後、パシフィックスは他の大手と「提携」を進めたが、それでも鐵造はメジャーとの戦いに一歩も引かない構えだった。

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「海賊とよばれた男」結末

3年後…1951年

若かりし頃、海賊と呼ばれていた鐵造は、自社船の石油タンカー・「日承丸」の進水式を行った。

相変わらずメジャーとは敵対関係にあったが、鐵造は独自の仕入れルートを開拓し、世界中どこへでも買いつけに回っていた。

国岡商店は最後の民族系石油会社として快進撃を続けたが、そんな国岡商店をメジャーが本気で潰しにかかる。

メジャー各社は国岡商店の仕入れルートを絶ち、銀行に取引を中止するよう圧力をかけた。

やがて国岡商店は仕事がなくなり、店員たちは自宅待機となってしまう。

どのぐらい引き延ばせるんか?

今の財務状況だと、もってあと半年というところでしょうか。

その後、石油の供給先をすべて失ってしまった鐵造は、メジャーの息がかかっていないイラン(アバダン)から輸入することを思いつく。

しかし、社運を懸けるこの案件は“危険な賭け”でもあった。

イランの石油はイギリスが独占しており、イランに通じる海域をイギリス海軍の力で封鎖していた。

もしもイランと石油の取引に来る船が見つかれば「拿捕」される可能性もあり、最悪の場合イギリス海軍の力で撃沈されてもおかしくなかった。

重役たちは鐵造に猛反発したが、それでも鐵造の意志は固く、「日承丸をアバダンに送る」と言った。

また店員を戦場に送り出すんですか?

こんなのは真っ当な企業家のやることじゃない!

これは日承丸と乗組員の命を懸けた…博打です。

博打やと?

これを博打言うなら、こん会社はずっと博打ば打ち続けてきたんよ。

その後、鐵造が日承丸船長・盛田辰郎にアバダン行きを頼むと、盛田船長はためらうことなくふたつ返事で引き受けた。

危険な航海になるかもしれんぞ。

店主が行けと言うのなら、我々はどこへだって行きますよ。

それが我々の仕事です。

出航を見送る鐵造は無念の死を遂げた長谷部のことを思い出し、車から降りて出航する船を追いかけた。

東雲…もし万が一あの船が帰ってこんかったら、

おいも生きていようとは思わん。

出航後、盛田船長はイランのアバダン行きを乗組員に知らせ、鐵造の手紙を読み上げた。

乗組員たちは危険な航海になることを理解し、国岡商店の「社歌」を熱唱して一致団結を誓った。

イランに入国すると、日承丸と乗組員たちは現地の人たちに歓迎された。

イランは長い間搾取され、経済的に封鎖されているイランの人々にとって日本との取引は朗報だった

やがて鐵造のところへ記者が殺到。

鐵造はこれでイギリスも日承丸がイランに入国したことに気づいたと思い、「本当に危険なのはここからだ」と言った。

給油を終え帰国の途にある日承丸にとって、イギリス海軍が駐留しているシンガポールが難関だった。

盛田船長はマラッカ海峡を大きく迂回してスンダ海峡経由で裏をかいたが、危険水域を脱した直後にイギリス海軍の「フリゲート艦」に見つかってしまう。

日承丸はすぐに停船警告を受けるが、盛田船長は「このまま突っ込め!」と指示を出した。

さらに盛田船長が電文を送ると、

日本もイランも正式な独立国である。

英国がその二国間の貿易に介入するのは全くの筋違いである。

貴船が武力を行使するならば、当方にはその事実を世界に向かって公表する用意がある。

ギリギリのところで衝突を免れた。

その後、日承丸は川崎の油槽所に到着し、出迎えた鐵造は盛田船長と乗組員たちに感謝の気持ちを伝えた。

鐵造と重役たちは日承丸を見つめ、声をそろえて『国岡のもんよ!油持ってきたけ!』と言った。

 

1981年 (鐵造96歳)

96歳となった鐵造のところへ、小川初美という女性が訪ねてくる。

初美は他界した大叔母の遺品の話をし、鐵造に「見てもらいたいものがある」と言った。

初美の大叔母の名前は『ユキ』

渡された遺品のアルバムには、国岡商店に関する“新聞の切り抜き”が張りめぐらせてあった。

子供の頃、よく国岡さんとの思い出を聞かされました。

その話をする大叔母は本当に楽しそうでした。

国岡さんが跡継ぎに恵まれたことも、我が事のように喜んでおりました。

大叔母は出ていったんではなく、身を引いたんだと思います。

さらにユキは家族を持たず、晩年は群馬の老人ホームにいたと聞いた鐵造は、

ユキの写真を見つめながら『そげな近くにおったんか』と言って泣き崩れた。

亡くなる直前、鐵造は大勢の子供や孫たちに囲まれ、

海賊と呼ばれた若かりし頃に思いを馳せるのだった。

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