中田卓也社長の経歴は?ヤマハ社長がカンブリア宮殿に登場!
今夜22時24分からの「カンブリア宮殿」に、ヤマハ株式会社社長、中田卓也氏が出演する。ヤマハは世界最大の総合楽器メーカーだが、楽器づくりだけではなく、音楽教室を通じて音楽文化を育ててきた。
学校の音楽室には必ずといっていいほどヤマハの楽器があり、街角にはヤマハ音楽教室がある。
今回は、日本の音楽文化を育ててきた、128年の歴史を持つヤマハ株式会社社長、中田卓也氏をご紹介したい。
中田卓也社長のプロフィールと経歴
プロフィール
生年月日:1958年6月8日(57歳)
出身地:岐阜県
出身校:慶應義塾大学法学部法律学科
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経歴
岐阜県出身の中田氏は、1981年慶応義塾大学法学部卒業後、日本楽器製造株式会社に入社。
ヤマハの前身である「日本楽器製造株式会社」から現在の社名「ヤマハ株式会社」に変更したのは、1987(昭和62)年10月1日。
中田氏の転機は30歳。当時は平社員だったにもかかわらず、シーケンサー(自動演奏装置)の開発リーダーとなったことだ。
シーケンサーの開発プロジェクトはわずか9人からのスタートだったが、約3年で100人の組織となるビッグプロジェクトとなった。
その後は出世街道を進み、2010年4月にはヤマハ コーポレーション オブ アメリカ取締役社長に就任。
それから3年後の2013年6月、ヤマハ株式会社の代表取締役社長に就任している。
当社のロゴマークは、「リズム・メロディ・ハーモニー」という音楽の要素とともに、それら会社の3機能である「開発・製造・営業」の連携を3本の音叉を重ねることで表現したものです。長く愛される優れた商品も、企業の総合力の結集のたまものだと思うのです。
出典:systemincome.com/
中田卓也と音楽
中田氏が音楽と最初に接したのは4歳の頃で、近所のお寺で開かれていたヤマハ音楽教室に参加し、音楽の基礎を身につけたそうだ。
中田氏は4歳上の兄の影響でロックを聴き始め、中学・高校ではバンドを結成してギターを担当。
イギリスのロックバンド「レッド・ツェッペリン」が大好きで、代表曲である“天国への階段”には衝撃を受けたそうだ。
大学ではシンセサイザーを入手して洋楽を自分でアレンジしたり、一方では模型造りにも没頭。
音楽とモノ造りが好きなら就職は楽器メーカーだと決めており、ヤマハ(日本楽器製造)へ入社したそうだ。
中田氏は、大きな決断を下す前日はツェッペリンの音楽を聴いてから寝るそうで、翌朝になると心が落ち着き、的確な判断ができるそうだ。
ヤマハの今後
ヤマハ音楽教室は、海外にも約16万人の生徒がいる。
中田氏は今後はマレーシアを皮切りに東南アジアで音楽教室も強化することを考えており、マレーシアでは学校と連携して、現地に合ったアプローチを進めるようだ。
また、総合的なブランド力では「世界最大の総合楽器メーカー」と言われているヤマハだが、『個々の製品を見ると、まだ世界一になっていないものがある』と中田氏はインタビューで語っており、今のポジションに満足せず、各分野で存在感を増すような取り組みを行っていくという。
常に新しいものを提案していくことがヤマハの姿だと考えている。
出典:www.sankeibiz.jp/
まとめ
番組の予告で、MCである村上龍氏と中田氏がドラムとギターでセッションをしていて、ドラムを叩く村上氏を見て、なんとなく驚いてしまった。
音楽は人に力を与え、元気にしてくれる。
日本の音楽文化を育ててきた会社の社長が何を語ってくれるのか。今夜の放送も待ち遠しい。
今夜のカンブリア宮殿は22時24分から!
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YAMAHA は 世界一
YAMAHA のエレクトーンと共にして52年です ヤマハエレクトーンに使ったおかねは 600まんえんぐらいです でもELS-02C が生まれてくるためだった いまそう 思っている有難うございました ホントは ELS-02Xがほしいです 高くて宝くじ買いにいこー