INTERGATE

世の中の?や!に迫る情報メディア

塚本こなみはフラワーパーク再生請負人?日本初の女性樹木医に迫る!

      2015/05/02

GW期間中の今、賑わいを見せているであろうフラワーパーク。おなじような施設も全国にあり、昔から観光スポットとして人々に親しまれてきた。地方のフラワーパークは経営が厳しいと言われている今、見事な経営手腕で注目を集めている人物がいる。フラワーパーク再生請負人とも言われ、「はままつフラワーパーク」理事長でもある、日本初の女性樹木医『塚本こなみ』氏に迫る。

0317konamisan1

出典:南浜名湖あそび隊!

樹木医(じゅもくい)とは?

1991年(平成3年)、森林・樹木の衰退減少を防ぐ意味で、林野庁が樹木医制度を発足した。医者は人、獣医は動物というように、樹木医は木のお医者さんだ。

スポンサーリンク

樹木の生理・生態を理解し、調査、設計監理、維持管理業務に精通し、診断及び治療をとおして落枝、倒木などによる人的、物損被害の抑制や後継樹の保護育成ならびに樹木の保護・育成に関する知識の普及及び指導を行う専門家です。

出典:日本緑化センター

樹木医は民間資格だが商標登録されており、「財団法人 日本緑化センター」の資格試験に合格、登録しなければならない。

受験資格も造園業や林業等の実務経験が7年以上必要で、合格率は約20%と樹木医までの道のりは遠かった。そこで2004年、「樹木医補」という制度が導入された。

樹木医補は特定の大学で基礎的な知識、技術を習得した学生が対象となり、樹木医補になると認定後の実務経験が1年以上であれば樹木医試験に挑戦できるようになった。

 

 

フラワーパーク再生請負人『塚本こなみ』氏とは?

まずは日本初の女性樹木医となり、異色の経営者としても注目を集めている塚本こなみ氏のプロフィールと経歴からご紹介したい。

IP140319TAN000129000_20140320083259

出典:at-s.com

プロフィールと経歴

1949年
静岡県磐田市に生まれる。

高校卒業後、2年間のOL生活を経験。

1971年
22歳で日本庭園を得意とする造園家と結婚。

1985年
造園業を行う(株)グリーンメンテナンスを設立。

1992年
樹木医合格(日本初の女性樹木医第1号となる。)

1993年
造園コンサルタント業を行う(株)環境緑化研究所を設立。

1994年
一級造園施工管理技士合格
栃木県足利市観光植物園から大藤移植業務を受ける。

1996年
あしかがフラワーパークの大藤移植を成功させる。

1999年
あしかがフラワーパークの園長に就任する。

2000年
わずか1年であしかがフラワーパークの黒字化に成功する。

2011年
浜松市やらまいか大使に就任。

2013年
はままつフラワーパークを運営する公益財団法人浜松市花みどり振興財団理事長に就任。

 

栃木の「あしかがフラワーパーク」を再生

当時は男性ばかりの造園の世界に、造園家との結婚によって飛び込んだ塚本氏。彼女の転機となったのは1994年1月、あしかがフラワーパークの藤の移植だろう。

パークの前身である早川農園から大藤の移植を依頼され、他の造園業者も断るとても難しい案件に対して塚本氏は「この藤は動く」と直感で判断した。それからは困難の連続で、眠れぬ日々を過ごしたそうだ。

当時藤の移植は「根本の径が60㎝まで」というのが常識とされていた。しかし塚本氏はそれまでの移植の常識を覆す「根本の径100㎝」の移植に、2年の月日を費やし成功した。

移植当時は72平方メートルだった藤棚は現在では1000平方メートルにまで拡大し、10倍以上となった藤は”世界一美しい藤”とも言われるほどに成長した。

出典:瀧村誠

藤の移植に成功した塚本氏はあしかがフラワーパークの経営においても成功する。園長に就任した塚本氏は赤字が続いていたパークの入園料に着目し、藤が満開時には料金を上げ、花が少ない時季は料金を下げるという料金変動制を取り入れた。

これがパーク再生のカギとなり、たった1年で黒字化に成功し、現在では年間100万人が訪れる人気スポットへと成長した。

スポンサーリンク

 

「はままつフラワーパーク」理事長に就任

経営者としての才能を開花させた塚本氏はその手腕を見込まれ、赤字経営に悩んでいたはままつフラワーパークの理事長に就任する。

赤字だったパークの再生に取り組んだ塚本氏は、来場者数30万人に達していなかったパークを2年で77万人にまで増やし、はままつフラワーパークも再生させた。はままつフラワーパークも料金は変動制となっており、HPを見れば花の開花状況を調べることができる。

はままつフラワーパークは世界一美しい桜とチューリップの庭園だ。1300本の桜と60万球のチューリップにうっとりするだろう。

出典:彩雲太郎

 

まとめ

経営者としての手腕にも驚かされる塚本氏が考えているコンセプトは「感動分岐点を超える園づくり」だ。来てくれるお客様をよく観察し、どうすればもっと喜んでくれるかを絶えず考えているそうだ。

樹木医として樹木の立場になって考え、経営者としてお客様の立場になって考える塚本氏だからこそ、人々に感動を与え、パークの再生も実現できたのだろう。

人や動物と違い相手が樹木ともなると、話すことも出来ないし感情を読み取ることも出来ない。そんな樹木と日々向き合っている塚本氏には脱帽の思いだ。

最後に塚本氏がインタビューで語っていた、とても考えさせられた言葉を引用させていただく。

私はね、“一日一生”だと思って生きています。朝生きて、夜死ぬ。だから、一日一日一生懸命にならざるを得ないでしょう? そして、一生懸命やっている人にはみんなが応援してくれるんですよ
出典:ecobeing.net

スポンサーリンク

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


PAGE TOP