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川淵三郎の経歴!サッカーからバスケ界へ転向した会長が情熱大陸に!

   

今夜23時15分からの「情熱大陸」に、サッカーJリーグ誕生の功労者で初代チェアマンを務め、現在は日本バスケットボール協会会長となった、川淵三郎氏が出演する。

バスケに縁もゆかりもなかった川淵氏が、なぜバスケットボール界の改革を任されたのか?

今回は、30以上の肩書きをもつ多忙なリーダー、川淵三郎氏をご紹介したい。

川淵三郎のプロフィールと経歴

プロフィール

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名前:川淵三郎(かわぶちさぶろう)
生年月日:1936年12月3日(78歳)
出身地:大阪府高石市
出身校:早稲田大学第二商学部商学科
愛称:キャプテン、槍の川淵
趣味:ゴルフ

 

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経歴

1936年大阪府生まれの川淵氏は、意外にも小中学生時代は野球に打ち込み、大阪府立三国丘高等学校からサッカーをはじめている。

「試合遠征で色んな場所に行ける」と誘われて入部するが、『痛くて汗臭い』のが嫌で、入部したての頃はすぐにやめるつもりだったそうだ。

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ところが、大学や実業団で活躍している先輩たちの指導を受けるたびに徐々に楽しくなり、2年生になるとドリブルで相手を抜くのが快感になっていたという。

川淵氏は2浪の後に早稲田大学に進学しているが、大学浪人中は予備校にも行かず、よく三国丘高校に行ってサッカーを楽しんでいたそうだ。

三国丘高校、堺で過ごしたあの頃が僕の人生をすべて決めたといえます。
出典:www.city.sakai.lg.jp/

そんな川淵氏は早稲田大学に入学してすぐにレギュラーになり、1958年、2年生の時に日本代表に初選出されている。

1961年の大学卒業後、古河電気工業に入社。同社サッカー部でプレーし、1964年には東京オリンピックに出場している。

1970年には現役を引退。引退後は古河電気工業の監督を経て、1980年〜81年に日本代表の監督を務めている。

川淵三郎 5

サッカーのプロ化に向けて力を注ぎ、1991年には日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」を設立。初代チェアマンに就任し、30年勤続した古河電気工業を退社。

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2002年には日本サッカー協会会長に就任して日韓W杯開催を成功に導き、2012年6月に日本サッカー協会最高顧問となっている。

しっかりとしたサラリーマン教育を受けてきたからこそ、何もないところからプロサッカーを立ち上げたJリーグや日本サッカー協会で、難しい経営に携わることができたんだと思っています。
出典:systemincome.com/

そして2014年、混迷する日本バスケットボール界の改革を任され、2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任している。

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バスケ界の改革

2014年11月26日、日本バスケットボール協会は国際バスケットボール連盟から“無期限の加盟資格停止処分”を下され、日本代表の国際試合出場が不可能となってしまった。

そんな混乱を極めるバスケットボール界の改革を任されたのが、Jリーグの創始者である川淵氏だった。

川淵氏はこれまでバスケットボールに縁もゆかりもなかったそうだが、日本バスケ界をわずか6ヶ月で国際バスケットボール連盟からの制裁解除に導いている。

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これにより日本代表は、リオデジャネイロ五輪のアジア予選に男女ともに出場することが可能となり、川淵氏はこれからが“バスケットボール界の新たなスタート”だと語っている。

 

まとめ

縁もゆかりもなかったバスケットボール界に早くも貢献し、精力的に活動を続けている川淵氏はとても78歳とは思えない。

番組では川淵氏の日常に密着しているようなので、とても楽しみである。

今夜は、日本にJリーグという文化を作った川淵三郎氏に注目したい。

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