小林快次の経歴は?恐竜学者は化石のプロフェッショナル!
今夜22時00分から放送の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、北海道大学准教授でもある恐竜学者、小林快次(よしつぐ)氏が出演する。
次々と新発見を成し遂げる化石ハンターは、“ファルコンズ・アイ”(ハヤブサの目)を持つと言われ、世界の注目を集めている。
今回は、いまだ多くの謎に包まれている恐竜の生きた世界を研究する若き化石ハンター、小林快次氏をご紹介したい。
小林快次のプロフィールと経歴
プロフィール
生年:1971年(44歳)
出身地:福井県
出身校:ワイオミング大学地質地学物理学科、サザンメソジスト大学地球科学科
職業:北海道大学准教授、恐竜学者
専門分野 :古脊椎動物学
スポンサーリンク
経歴
福井県出身の小林氏が化石と出会ったのは、理科クラブの活動をしていた中学1年生のとき。
担任の先生が福井県では「アンモナイトや三葉虫」の化石が採れることを教えてくれたが、当時は化石に興味がなかったという。
小林氏は初めて化石を採りに行った日、周りは化石を見つけていく中、自分だけが見つけられずとても悔しい思いをしたそうだ。
帰り道で小林氏は、担任の先生に“もう一度連れて行ってください”と懇願。後日、同じ場所に戻って必死に探したという。
いくら石を割っても化石は見つからず、腕は疲れて諦めかける。
しかし、担任の先生に「割れば割るほど、見つかる可能性は上がる」と声をかけられると、ハンマーを振る力が湧き、ついにアンモナイトの化石を採集。
この経験は今でも鮮明に覚えており、化石の世界に足を踏み入れた瞬間だったとインタビューで語っている。
この瞬間の延長線上に、現在の自分があるように思う。あの時諦めていたら、もう一度連れて行ってくださいとお願いしなかったら、今の自分はいなかっただろう。もしあの時、周りの人たちと同じくらいアンモナイトの化石を見つけられていたら、「こんなもんか」と興味も湧かなかったかもしれない。
出典:natgeo.nikkeibp.co.jp/
それからの小林氏は、毎日のように化石を採集する日々を過ごしたそうだ。
小林氏は高校を卒業するまで福井で暮らしていた。その後は横浜国立大学に入学するが、1年も経たないうちに渡米。
ワイオミング大学地質地学物理学科に入学し、飛び級で学士優秀賞を取得する。
大学卒業後はテキサス州に戻り、ダラスにあるサザンメソジスト大学地球科学科に進学。
そして日本人初となる『恐竜の博士号』を取得。現在は北海道大学総合博物館准教授を務め、著書も出版している。
2004年には恐竜研究のバイブルである「Dinosauria」の一部を、日本人で唯一執筆。
米国ランダムハウス社出版の「Dinosaurs: The Most Complete, Up-to-Date Encyclopedia for Dinosaur Lovers of All Ages(直訳:すべての年齢の恐竜愛好家のための最も完全で最新の百科事典)」において“世界をリードする33人の古生物学者”として紹介され、世界中から注目を集めている。
恐竜化石の発掘
必ずここにある
国内だけではなくモンゴル、米国アラスカ州、カナダなど世界各地で発掘調査を行い、恐竜研究の第一人者として活躍する小林氏だが、新しい発掘現場に行ったときは、「必ずここに恐竜化石はある」と考えている。
小林氏は“見つかるのは当たり前”だと信念を持ち、「人と同じところを探さない、同じ場所を通らない」ことを心がけている。
たいていの人は、化石が見つからないとあきらめモードに入るが、小林氏は違う。
「必ずここに恐竜化石はある」ことを前提にしているので、見つからないほどワクワクしてくるそうだ。
また、小林氏がよく化石を見つけることから“ファルコンズ・アイ”(ハヤブサの目)とニックネームをつけられた理由は、自身の身長が関係しているという。
化石を発見するにはもちろん経験が必要だが、欧米の研究者はみんな背が高い。
小林氏はポイントは「身長と目線の高さ」で、背の低い方が地面に目が近く、より多く化石を発見できると語っている。
地味な研究
毎年4~5カ月かけて世界各地の発掘現場を飛びまわっている小林氏だが、恐竜研究者の仕事はとても“地味な作業”の連続だと語っている。
発掘現場ではひたすら歩いて化石を探し、食事をして、また歩いて化石を探す。
恐竜化石を見つけると、削岩機、スコップ、ハンマーを手に土砂と格闘。そのほとんどの時間を、土砂をスコップで掻く時間に費やしているという。
危険が伴うがとにかく地味。しかしそれでも小林氏は“無性に行きたくなる”そうだ。
まとめ
小林氏は世界中を飛び回り、定説を覆し続けている。
今夜は、この夏に小林氏が挑戦した、アラスカでの調査の様子が放送されるようだ。
壮大な謎に挑戦し続けている、小林氏の放送が楽しみで仕方ない。