根岸榮治の経歴は?「牛たん専門店・ねぎし」の社長に迫る!
2015/06/04
本日の「カンブリア宮殿」21時54分~22時54分に「牛たん専門店・ねぎし」の株式会社ねぎしフードサービス社長、根岸榮治氏が出演する。
ランチの平均客単価は1200円以上と決して安くない金額だが、それでも連日大行列ができるねぎし。驚きの人材育成法と独自の経営によって感動の仕組みを生んだ、根岸榮治氏に迫る。
出典:key-press.jp
根岸榮治氏の経歴
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1970年 株式会社ねぎしフードサービス創業
1981年 「牛たん・とろろ・麦めし専門店 ねぎし」1号店を新宿に出店
2005年 日本経営品質賞への取り組みを始める
2011年度 日本経営品質賞受賞 中小規模部門
2012年度 農林水産大臣賞受賞 新規業態人材開発部門
新宿を中心とした首都圏に25店舗と、有楽町に「コラーゲンと牛たん・テール料理 MARUNE有楽町」1店舗、カジュアルソウルダイニング「コパン・コパン」を展開
・日本経営品質賞とは?
わが国企業が国際的に競争力のある経営構造へ質的転換をはかるため、顧客視点から経営全体を運営し、自己革新を通じて新しい価値を創出し続けることのできる「卓越した経営の仕組み」を有する企業の表彰を目的としています。
出典:飲食の戦士たち
福島県いわき市出身の根岸氏の実家は時計やメガネなどを扱う昔ながらの貴金属店だった。家業を継がず東京で大手百貨店に勤務した根岸氏だったが、数年後に実家の貴金属店が倒産の危機に立たされてしまう。
家業を救うために帰郷、奔走した根岸氏はなんとか倒産は回避するが、「昔ながらの貴金属店の経営は難しい」と考え模索した結果、行き着いたのが飲食業だった。
最初に始めたのはカレーの店
実家を助けるために福島に帰郷した根岸氏が最初に出店したのは、なんとカレー専門店だった。牛たん専門店のルーツがカレー専門店とは驚きだが、国民金融公庫から借りた300万円を元手にオープンしたそのお店は、想像をはるかに越えて大ヒットする。
ヒットの波に乗った根岸氏は東北に喫茶店、ラーメン店、和食店、貝専門店等、多店舗展開を行なっていく。
”東京の流行を地方に持ってくる”というビジネス手法で成功した根岸氏は当時の様子を、「今では考えられないことですが、どんなに待っても楽しく食事をし、次も来てくださる。まるで街の導線が変ったようで、美味しい物は楽しい街を作ると実感しました」とインタビューで語っている。
100年企業を目指す
順調に見えた根岸氏の経営だったが、どの店も4~5年目には真似されて衰退していってしまった。当時働いていた店員に50m先に出店され、料理ばかりかスタッフまで丸ごと持っていかれるという裏切り行為のような経験までしたそうだ。
こうした手痛い経験から出した結論は、「100年続く会社をつくる」ことだった。そのために企業理念とビジョンを明確にした根岸氏は、「人は財産である」という企業風土づくりに徹底する。
「働く仲間の幸せ」を経営理念に掲げる根岸氏は、果たすべき役割や存在価値を明確にし、それを従業員全員で共感しながら前へと進んでいける仕組みにしなければ企業としての永続性はないと考えた。
出典:くまざわ書店
仙台で流行していた牛たんに目をつけていた根岸氏は1981年、新宿歌舞伎町に「ねぎし」1号店をオープンさせた。
以前のように多業種での展開ではなく、逆に”地方の名物を東京に持ってくる”という牛たんに絞った店舗展開で、本社を置く新宿から30分圏内の場所に店舗を展開。30分圏内の理由は、「店長や社員がすぐに顔を合わせられる」ことに配慮したからだった。
他県や海外からの出店要請を断り、東京だけの経営にして社員同士が顔や名前を知れる範囲で仕事をして絆を保つ。ビジネスの土俵は東京以外に移さないのも「ねぎし」流の経営だろう。
根岸氏の座右の銘
まとめ
根岸氏が語る「人財共育」は一人ひとりの従業員が会社にとっての貴重な財産で、皆が共に育っていくという意味だが、根岸氏の思いは外国人労働者に対する教育にもあらわれている。
ねぎしで働く外国人労働者は約300人いるが、一時的な人手不足解消のためではなく、会社を担う存在として教育し、日本人との賃金の格差もなくしているそうだ。
「人は財産」と語る根岸氏の思いが従業員一人ひとりに伝わっているであろうねぎしには、目標である「100年企業」をぜひ実現してほしい。