高波幸夫社長の経歴は?カンブリア宮殿にプレコフーズ社長が登場!
今夜21時54分から放送の「カンブリア宮殿」にプレコフーズ社長、高波幸夫氏が出演する。個人経営の飲食店約1万7000軒を相手に極上の肉や野菜を届け、必要とあらば焼き鳥の串打ちやチャーシューづくりまで代行し、客の要望にすべて応えるプレコフーズ。
今回は、今や年商100億企業となったプレコフーズ社長、高波幸夫氏の経歴をご紹介したい。
高波幸夫社長のプロフィールと経歴
プロフィール
生年:1958年4月(57歳)
出身地:東京都
出身校:米カリフォルニア州ブルックス大卒
役職:(株)プレコフーズ代表取締役社長
スポンサーリンク
経歴
1979年 渡米、カリフォルニア州ブルックス大学入学
1983年 有限会社鳥利商店入社
1994年11月 株式会社プレコフーズに社名・組織変更、代表取締役社長就任
2010年8月 株式会社プレコホールディングス設立、代表取締役社長就任
高波氏は日本の大学を3ヶ月で中退している。その後は学研の営業を8か月続け、お金を貯めて渡米。
1979年にカリフォルニア州ブルックス大学に入学。
働きながら大学に通っていた高波氏は「合理的な考え方と目的を達成する自信」をアメリカで得たそうだ。
帰国後の1983年、父が経営する「鳥利商店」に入社。父のもとで11年間働いた後、1994年11月に代表取締役社長に就任。
高波氏は入社当時の年商約1億円、従業員数6名と小規模だった会社を、社長就任から20年で売上高100倍、年商100億円の企業に急成長させた。
カンブリア宮殿のMCである村上龍氏は「こんな会社はカンブリア10年やっているけどない」「とにかくすごい経営者」だと絶賛している。
食品軍団(株)プレコフーズとは?
出典:www.inshokuten.com/
飲食店を支える食品軍団、株式会社プレコフーズ。その前身は高波氏の父、高波利夫氏が東京大井町で1955年6月に創業した「鳥利商店」という鶏肉専門店だ。
1985年に高波氏は入社。1994年に高波氏は代表取締役社長に就任し、株式会社プレコフーズに社名・組織変更。
社長に就任した高波氏は、鳥肉専門から首都圏の個人経営の飲食店約1万7000店舗に、8000種類以上の極上の肉、青果、水産の生鮮、冷凍食品などを納める業務用の卸売りに方向転換。
温度管理された自社車両で、朝4時までの注文は商品知識を持った正社員が当日中に配送する。
1000円からの注文、ささみ3本でも無料で配送してくれる姿勢も注目され、成長著しい食品軍団として活躍している。
また、新鮮食材のスペシャリストとして、国内最高クラスの衛生管理システムを備えているプレコフーズは、温度管理と品質管理の徹底を図り、「安全、品質、鮮度」の高い商品を届けている。
プレコフーズの名前の由来
PRECOのPREは「PRESIDENTS=社長達」の「PRE」
COは「COOPERATION=協同体」の「CO」を意味している。
社長達の協同体という2つの単語の頭をとってワンワードにし、“PRECO”。
そして食品を扱う会社なので、“FOODS”をプラスし 『 プレコフーズ 』 という会社名が誕生しました。代表の髙波が社長達の協同体、つまり“社長会”をつくることが出来れば・・・と想いを込めたものです。
会社のロゴマークには、まずはプレコフーズという幹を成長させ、そこから枝・葉が生えるように、会社が会社を生むシステムを作り、頑張ってきた仲間をその会社の社長にし、その会社で働く部下たちも役員に任命していきたい。1つの会社では社長は1人であり役員の数は限られるが、会社が会社を生むシステムを作れば社長は何人も作れるし、役員も何人もつくれる。そして、将来「皆で一生懸命やってきてよかったね」と思えるようなグループ企業を作っていこうという想いがこのロゴマークに込められています。
まとめ
必要とあらば焼き鳥の串打ちやチャーシューづくりまで代行し、ささみ3本でも配送するという、客のニーズに徹底的に応える姿勢には驚かされた。
現在、都内に5拠点ある配送エリアと流通網がこれからも拡大することを考えれば、プレコフーズの年商はとんでもないことになりそうである。
村上龍氏が「こんな会社はカンブリア10年やっているけどない」と語る高波氏は何を語ってくれるのか。
いつも以上にワクワクする。